私が近年研究している共同体と愛というテーマは、古代ギリシャ以来多くの哲学者によって論じられてきました。フランス現代思想では、東西のイデオロギー対立が終結に向かう80年代後半に、共同体についての問いが新たに発せられ、ほぼ同時期に、それまで性愛としてのみ扱われる傾向のあった愛が改めて注目されるようになります。これらのテーマの相互連関を考えるにあたり、愛、友愛、性愛の関係と並び、二人の個人間の愛と多数の人々を繋ぐ友愛/博愛の関係を問う必要があるでしょう。私が注目する現代の哲学者たちはまた、2009年以降多くの国々で活発化する民主化運動、民衆運動のメカニズムについて考察しています。
私の研究は以下の二つの軸に沿って進められます。
1) コミュニズム、ファシズムなどのイデオロギーの台頭が見られた30年代に活躍した文人、思想家(ジョルジュ・バタイユ、モーリス・ブランショ、ジャン=ポール・サルトルなど)の著作を読み、彼らがイデオロギーの枠内で、またイデオロギーに抗しながら考えた理想社会の特徴を把握し、その着想が、当時新たな学問領域として開拓されつつあった実存哲学、精神分析学、人類学に基づくどのような人間理解を前提としていたのかを考察すること。
2) 30年代のバタイユらの政治・社会論考を検証しながら80年代以降に展開された、ブランショ、ジャン=リュック・ナンシー、ジャック・デリダの共同体論を取り上げ、バタイユに見られた「恋人たちの共同体」と「社会的共同体」の接合の試みに対する彼らの批判的考察の射程を問うこと。『明かしえぬ共同体』においてブランショは、68年5月革命などの政治運動への参加経験に基づき、特定政党の指令に従うことなく集合、離散する匿名の人々の無為の共同体の核に、現代小説に描かれる孤独な恋人たちの「関係なき関係」に近似した結びつきを読み取るのですが、ナンシーは『否認された共同体』において、このような試みに共有不可能な性的享楽の特権化と、現実の社会運動から遊離した共同体の神秘化、脱政治化を指摘します。私は2017年にナンシーと共に慶應義塾大学において国際シンポジウムを開催し、この問題について議論を行ないました。他方、デリダは『友愛のポリティックス』において、古代以来、愛や友愛を巡る哲学的思考が、男性兄弟間の愛という血縁や土着性に基づいた関係を友愛の特権的範型として参照してきたと主張します。そこで私は、この著作に導かれながら、西洋哲学の伝統における愛と友愛についての考察を精査しつつ、「もう一人の自己のように他者を愛すこと」=兄弟愛が、融合、所有、贈与、構築などの愛という欲望のその他の運動に対して持つ関係を明らかにし、またジャック・ランシエール、アラン・バディウらの民主主義についての思想を手がかりに、個人間の愛/友愛と集団における友愛/博愛との差異を考えようとしています。
(2020/04/01)