小学六年生のときに、父に連れられてとある映画のリバイバル上映を観に行きました。わたしは他の新作映画が見たかったのですが、なぜか父は古いミュージカル映画へとわたしを連れて行ったのです。それはロバート・ワイズとジェームズ・ロビンソン監督による『ウエスト・サイド物語』(1961年)でした。若者のフラストレーションとその悲劇を描いたこの映画は、幼い私の心に強烈な印象を残しました。ご存じの通り、この映画はシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きに、少年グループのジェット団とシャーク団が抗争を繰り広げる一方で、ジェット団のリーダーの友人トニーと、シャーク団のリーダーの妹マリアが恋に落ちる、という物語です。
アメリカは「独立宣言」に書き込まれているように、自由と平等、幸福の追求を国の基本理念にすえています。しかし『ウエスト・サイド物語』では、その内部に人種、経済格差、移民、性差などの問題を含んでいる国であることが描かれています。これをきっかけとして、アメリカという国を知りたくなり、近所の図書館に通い、アメリカに関する様々な書物や文学作品を読むようになりました。もともと『若草物語』『足ながおじさん』『アンクルトムの小屋』や『黄金虫』といった、翻訳された北米の児童文学や推理小説を好んで読んでいましたが、「アメリカ」という国を意識しはじめたのはこの頃からでした。
その頃持った興味が、現在のわたしの研究の原点となっているように思われます。現在わたしの研究は大きく三つの柱に分けられます。ひとつは、19世紀アメリカにおける女性文学の系譜を、人種・性差・宗教の観点から考察するというものです。わたしが博士論文で中心にとりあげた作家は、19世紀に奴隷制反対を唱えたリディア・マリア・チャイルドですが、彼女はまた、厳格なカルヴィニズムに違和感を覚え、寛容な宗教を求めていた側面があります。チャイルドや同時代の女性作家たちは、それぞれに異なる方向を向きながらも、共通した時代思潮を反映しているところがあります。性差規範に一見従っているように見えながらも、重層的な解釈を可能にする文学作品を読み解いていくと、彼女らが抱えていた問題とは、実は現代を生きるわれわれにも共通しているのではないかと思わされます。
二つ目は、一九世紀の女性作家にかぎらず、アメリカ文学作品を中心としたジェンダーおよびセクシュアリティ研究です。もともとわたしの学部の卒業論文は二○世紀の男性作家ポール・ボウルズを中心に取り上げ、彼の作品にみられる男性同性愛表象や女性表象についてでした。これまでにもフォークナーやジム・ダッジといった二○世紀の男性作家についての論文も執筆しています。ボウルズが亡くなる数年前に、タンジールまで会いに行ったことも今ではいい思い出です。
三つ目は、アメリカ文学と日本の少女文化との接点を考えるというものです。先にも述べましたように、アメリカという国の光と影を意識し始めたのは『ウエスト・サイド物語』を見てからですが、アメリカという国があることを知ったのは、北米の児童文学や日本の少女マンガからでした。日本の少女マンガ作品の中には、北米の児童文学からの影響があると思われるものも多く、アメリカ文学の日本での受容史、明治以降の少女文化の形成、第二次世界大戦後のアメリカによる日本の民主化政策などとともに、日本の少女文化がいかにアメリカという国を吸収し、少女像の中に内在化させていったのかを研究しています。
(2019/04/01)