私は近年、中国料理を通して、東アジアおよび世界の近現代史を広く見渡そうとする研究に取り組んでいます。
21世紀には、タイ・マレーシア・シンガポール・韓国・日本など多くの国々が、自国料理をブランド化して世界市場でシェアを拡大しようとする積極的な文化外交を展開しています。しかし、東・東南アジア諸国の「国民食」とされる食べ物のなかには、例えば日本のラーメン、韓国のチャジャン麺、ベトナムのフォーなどのように、中国起源であるか、あるいは中国の食文化に強く影響を受けたものが数多くあります。これらの国々の人々が、中国各地方の食材や調理法を自国料理に取り込みつつも、中国料理と差別化しながら自国料理を作り上げてきたからです。私の研究課題は第一に、世界各国の政府と民間が中国料理をどのような政治・社会状況、ビジネス環境のなかで自国料理に取り入れてきたのか、あるいは取り入れてこなかったのかを明らかにすることです。例えば、1930年代以降のタイの国民国家がパッタイ(炒め米麺)を「国民食」として創案して、国内外に普及させていく過程を調べています。
そして第二に、中国本国において「中国料理」がいつ頃からどのように、一つの「国民料理」(国民国家の料理体系)として制度化され、宣伝されたのかを考察しています。中華民国時代(1912~1949年)までは、実態として都市・地方ごとに固有な食文化が再生産される傾向が強かったので、中国における「国民料理」の形成を考えるには、中華人民共和国(1949年~)の建国初期が重要です。1950年代の北京では、外国の賓客や国内の要人を招いた「国宴」(国家宴会)のために、各地方料理の精髄を集めた新しい料理が確立されました。当時の北京や上海などの外食業界は、党・政府幹部の接待のために活気づいていました。そうしたなかで、全国の地方料理を網羅する料理大全『中国名菜譜』が編纂されたり、調理師の国家資格や等級が定められたりもしました。このように国家が主導する中国料理の体系化・制度化およびその政治利用や宣伝工作を、具体的な事例研究によって検証していくことを目下の課題にしています。
くわえて第三に、なぜ日中戦争が日本・アメリカ・イギリスなどで中国料理の普及を促したのかを、世界史的な視点から解明したいと考えています。例えば、中国大陸に対して軍事的に拡張した日本帝国内で中国の食文化が広まった一例として、「満洲料理」や満洲食文化を創生する試みの全貌が明らかになりつつあります。さらに、日中戦争は第二次世界大戦の一戦域となりましたので、中国とともに日本と戦ったアメリカやイギリス、そしてアメリカ軍が駐留した世界各都市で、中国料理店が一時急増しました。戦時・戦後期の世界各国・各都市における中国料理店・日本料理店の盛衰には、どのような政治・経済・社会的背景があったのかを調べて比較したいと思っています。
(2019/04/01)