私の近年の研究は、日本における在来産業とその経営主体の歴史的研究で、近代以前から存在する伝統的な産業がどのように日本の近代を生き抜き、今日に至っているかということに関心を持って、具体的な経営体の文書を分析しています。在来産業の中でも私がことに注目するのは、酒、醤油、味噌などを造る醸造業です。醸造業は、微生物を操るバイオ産業の一種であり、日本の気候・風土や日本人の繊細さ、勤勉さが相俟って、近世以降日本が世界をリードしてきた分野と言ってよいでしょう。そしてこれらの産物が、世界無形遺産に登録された「和食」を構成する重要な要素であることは言うまでもありません。つまりこの産業は、日本の食文化に欠かせない、我々日本人にとって、なくてはならない産業なのです。
日本の近代の産業では、早くから機械化を果たした綿糸紡績業や外貨獲得に貢献した生糸製糸業などにスポットが当てられがちですが、酒の生産額が明治期日本の工業生産物の中で常にトップであったという事実はあまり知られていません。醸造業は近代に入っても、杜氏という技術者の経験や勘を必要とするゆえの機械化の難しさから、近世以来の手造りの製造方法で地味ながら規模を拡大して生産を伸ばしたのです。醤油は、その製品としての性質上、酒ほどの生産額はありませんでしたが、需要の増大と税制面での有利さなどから、莫大な利益をあげて大企業に成長する業者も現れ、明治末以降、その利益は徐々に機械化に振り向けられていきます。同時に、彼らの間では利益を社会に還元する傾向が強かったことは、私をこの産業の研究に惹きつける一因となっています。
近年、人口の減少もあって、酒も醤油も国内での消費量こそ頭打ちですが、むしろ海外での評判が高まって輸出が増加しており、また有力企業は次々に海外に工場を設けています。世界的に知られる某有力醤油メーカーなどは、欧米やアジアに多くの工場を持っており、国内生産量よりも海外での生産量の方が圧倒的に多いというのが実情です。味噌も、健康によいとの評判から、輸出が増えています。
日本の歴史の中で育まれ、日本人が得意としてきた「ものづくり」を象徴するような産業である醸造業の世界展開は、世界経済の中で日本が活路を見いだしていく一つのヒントを与えてくれているような気がしています。
(2016/11/30)