私の専門分野は美術史ですが、研究対象はおもに近世イタリアの建築です。卒業論文と修士論文ではローマの盛期バロックを代表する建築家ボッロミーニをテーマにしました。後にフィレンツェ大学に留学しましたが、ローマ・バロック専門の先生に師事しつつも、国立文書館やウフィツィの版画素描室、国立中央図書館といった一次史料の宝庫を活かすべく、今度はフィレンツェの建築にも目を向けるようになりました。
もっとも、文書館で史料を筆写した日々はもはや遠く、コロナ禍のため、そしてなによりも興味がより一般的抽象的なレベルに移ってきたため、近年ではバロック建築と同時代科学の関わりがおもな関心事となっています。
そもそもの契機は、やはり留学先がフィレンツェであったことです。この都市は私の元々の興味の対象であった17世紀には事実上の衰退期にあり、それは英国の歴史家ハロルド・アクトンの名著『メディチ家の黄昏』に活写されている通りです。かつてルネサンスにおいてブルネッレスキが活躍したこの都市の建築も、少なくとも様式的には停滞を迎えます。しかしこの時代のフィレンツェが、ガリレオ・ガリレイの存在により、科学革命の中心地のひとつであったのもまた事実です。そこで私も、ガリレオの業績、とりわけ力学と同時代建築との関わりに興味を向けるようになったのです。
目下のテーマも、この延長線上にあります。ボッロミーニらバロック建築の様式的特徴のひとつに曲線の多用がありますが、当時の科学においてもまた、各種の曲線の数学的・力学的特性に関心が向けられました。一方がもう一方に影響を与えたという単純な図式は成立不可能で、科学と建築の間にある、ある種パラレルな関係の指摘に留まらざるをえませんが、少しでも関係の実際を明らかにしていくことが現在の目標です。より具体的には、近代の巨匠アントニ・ガウディの建築にも顕著な、パラボラ(放物線)・アーチとカテナリー(懸垂曲線)・アーチのドーム形式への応用の歴史についての考察です。ガウディの典拠のひとつは、18世紀イタリアの数学者・建築理論家ジョヴァンニ・ポレーニのサン・ピエトロ大聖堂のドームについての著作でした。準備中の考察では、さらにポレーニの以前に遡って、これらの曲線が構造力学的な原理に基づいてドーム形式に応用されていく過程を大まかにスケッチすることを目指しています。
(2024/4/1)