専門は中世和歌です。和歌といえば平安時代の宮廷貴族のものとされますが、鎌倉時代以後も盛んに詠まれ、地方に、また公家以外の階層に浸透していきます。和歌は教養の一つであったとすれば簡単ですが、地方の武士や僧侶の詠歌への情熱は驚くべきものがあります。勅撰和歌集が応仁・文明の乱直前まで編纂され続けた理由もそこにあります。古今伝授も次世代の指導者を育てるシステムとして時代の要請で生まれたものです。突出した才能こそ見えませんが、和歌の求心力はむしろ強くなっています。文化インフラとしての和歌の役目を、周辺の領域にも対象を拡げ、実証的に明らかにすることに努めています。
伝統の力が最も顕在化するのは内乱期です。南北朝期の関白二条良基は、何度か生命の危険に晒されながら、朝廷の儀礼を守ろうとした公家です。一方、連歌や猿楽を庇護し、これを高度に洗練させます。その指導力はいわゆる室町文化を生み出しますが、伝統に惹かれる新興階層のエネルギーを見事に吸い上げた印象も受けます。生涯を総合的にとらえる試みを何度かしましたが、『二条良基』(人物叢書、吉川弘文館、2020年)が最新のものです。
戦国期は各地に政治拠点が形成されますが、和歌の権威は健在です。和歌を好む戦国大名は枚挙にいとまありません。関東では公方足利氏や管領上杉氏が鎌倉を退去、かわって上杉氏の家臣に過ぎない太田道灌が実力者となります。道灌が築いた江戸城では歌合・歌会が開催され、連歌師や商人まで集ったことは、伝統が変質しつつ依然鞏固であることを示します。
厳しく分断された中世社会では、身分を持たない法体の歌人(遁世者)の役割も重要です。良基も彼らを重んじましたが、少し後に活動した正徹も典型的な室町の歌人です。正徹は自由な立場で詠歌しつつ、将軍をはじめ武家を門弟としました。その指導の口吻を伝える、正徹物語の校注訳を出しました(角川ソフィア文庫、2011年)。室町和歌は古典文学の叢書でも取り上げられないので、今後も読者が手にとりやすい形で、作品本文を提供したいと思います。
修士論文で良基の事績を追ってもう30年、よく飽きもしないでとは思いますが、まだ終われません。良基が内乱最も激しい時期に編纂した、連歌撰集の菟玖波集の校訂・注釈に着手しました。何とか完成させたいと思います。
(2023/4/1)