私の近年の研究対象は18世紀後半から19世紀初頭のバルセローナ市における絹を扱う手工業者とその家族です。旧体制の崩壊が進行しつつあった近代揺籃期の都市で、ギルドに組織された絹産業において、技術革新やギルド外からの参入がどのように行われたのか、労働の組織はどのように変化したのか、家族を中心とした小さな工房での職業と財産の継承はどのように行われたのか、女性の労働への参加や家業への貢献の実態はどのようであったか、これらを実証的に明らかにすることを課題としています。バルセローナの近代化の花形と言えばその原動力となった綿工業ですが、ちょうど2013年からの在外研究の折、ヨーロッパの社会経済史学界で「ギルドの再評価」が研究テーマとして大いに盛り上がりを見せていたということもあり、ギルドの規制を受けない自由産業であった綿工業に対して、ギルドに組織された古い制度を保持しながら発展した産業のあり方に興味を持ちました。その後、文書による研究と並行して、彼らが生産していた絹の捺染スカーフや刺繍入りストッキング、飾り紐やタッセル、リボンなどの実物を手に取って調査していくうち、すっかりそれらのモノの魅力にも取り憑かれていきました。
私が研究対象としている時期のバルセローナには有効な人口調査のデータがなく、徴税簿も実態との乖離が激しく、教区簿冊も大半が焼失しているため、研究には、対象の手工業者とその家族が遺した「遺言書」や「結婚契約書」、「死後財産目録」などの公証人文書が頼りです。親方が妻に財産を遺すと記した「遺言書」、長年の家内奉公によって持参金を貯めた市外出身の農家の娘がバルセローナの親方の息子と結婚する条件を定めた「結婚契約書」、親方の死亡時に家の中にあったあらゆる財産を、織機や商品在庫から壊れた鍋釜の類までリスト化した「死後財産目録」など、当時の人々の人生や生活の息遣いが肌で感じられる文書を読み解いていく過程が何と言っても研究の醍醐味です。糸や商品、道具などを指す言葉の意味がわかるためには、いろいろな種類の文書を読み、博物館などで多くのモノを見ることが必要です。そして、文書から浮かび上がった一人ひとりの人生をどのように一般化できるのか、個別の史料の叙述を体系的な分析の中にどのように位置付けて評価することができるのかという難しさと、日々格闘しています。
(2023/4/1)