これまで16世紀前半における宗教改革の思想と民衆運動との関係について、スイス北部の農村を中心に研究してきました。中世以来スイスや西南ドイツの農村社会には、共同体を基盤にして、自分たちの古き法や自治を守るために、領主に対して抗議する伝統がありましたが、ルターやツヴィングリなどの宗教改革の新しい神学の誕生を契機にして、その共同体運動は一層活発化し、1525年には大規模な農民反乱に発展しました。当時、領邦国家の形成と社会的流動化の進展とともに、旧来の封建的支配秩序は著しく動揺し、様々な社会的緊張や対立が発生していました。その中でも、農民を人格的に支配する農奴制の問題に関して、農民の抗議書の分析を中心に、特に詳しく考察してきました。農奴には移動の自由は禁止ないしは制限され、自由に結婚相手を選ぶ権利は認められず、相続税に類した死亡料や農奴承認料の支払いや不定量賦役の履行の義務がありました。封建反動が強化され、共同体の自治が侵害されると、宗教改革の神学に触発されて、スイス各地の農民たちは、領主に対して農奴制からの自由などの様々な内容を含んだ抗議書を提出したのです。
そのような農村社会に関する研究成果を土台にして、これからは分析対象を16世紀の都市共同体にも拡大しようと考えています。とりわけスイスの自由都市シャフハウゼンにおける宗教改革の導入を事例として、共同体の役割とその構造について実証的に明らかにしたいと思います。最終的にシャフハウゼンが正式に宗教改革を導入したのは、1529年9月のことですが、その途中でドイツ農民戦争に連動して、市内で葡萄栽培者ツンフトの反乱が勃発し、その鎮圧後、首謀者や改革派の説教師が処罰され、改革運動は大きな挫折を経験しました。現在のところまず、ツンフト体制都市であったシャフハウゼンにおいて、なぜ葡萄栽培者が、市参事会での政治的発言権を有していたにもかかわらず、市当局に対して武装蜂起を行ったのかについて調べています。
(2020/04/01)