概要:
共同体をめぐる哲学的思考は古代ギリシアのプラトン、アリストテレス以来脈々と受け継がれてきましたが、現代にいたってその重要性はますます高まっています。まさに今こそ、来たるべき共同体について論じるときなのかもしれません。
本ワークショップでは、現代フランスの哲学者ジャック・デリダのデモクラシー論を基軸に、二人の提題者が「来たるべき(à venir)」共同体について検討を行ないます。
斎藤慶典は、自著『私は自由なのかもしれない——〈責任という自由〉の形而上学』で展開した「倫理」の不可視性とその可能性をめぐってのアレント批判、ならびに「純粋な可能性」としての「自由」の擁護というか点から検討したハイデガーとレヴィナスの共同体論をめぐる議論に立脚して、後期デリダのデモクラシー論とジャン=リュック・ナンシーの「無為の共同体」論について考察を試みます。
宮﨑裕助は、自著『ジャック・デリダ——死後の生を与える』において検討を加えたデリダの友愛論を起点に、アリストテレス、ニーチェ、アガンベンらのテキストを踏まえた共通感覚論の捉え直しを行ないます。その際、フロイトに関してデリダが取り上げた「テレパシー」概念を手がかりに、近接性を基準としない遠隔的な情動を通じた共同性の構築をどのように考えることができるかを探ります。
当日の進行は、前半に斎藤と宮﨑の二人が提題を行ない、休憩をはさんで後半は、合田正人による司会の下で「来たるべき共同体」をめぐって集中的な討議を行ないます。
本ワークショップは一般公開です。共同体について、あるいはデリダに関心のある方の参加を、心よりお待ちしております。