慶應義塾大学所属の大学院生の頃から、旧石器時代の日本列島を対象とした考古学研究を続けてきました。この日本列島の旧石器時代研究は、研究開始期の1940年代後半から大きな問題点を抱えていました。それは、列島を覆う土壌の多くが酸性火山灰土であり、本来存在していた骨や木などの有機質遺物が失われ、概ね石を材料とした石器のみを唯一の研究素材にせざるを得ない点です。世界的には、石以外の素材の各種道具(木器・骨角器)、旧石器時代人が入手した食料資源(動・植物遺体)、旧石器時代人そのもの(遺骨)なども含めて総合的な研究を行うのが一般的であることを考えると、大きなハンディキャップを負っていることは明らかです。
一方、このような厳しい状況において、同一遺跡内から、旧石器と共に有機質遺物が出土するわずかな事例もあります。外気から遮断される堆積環境により、有機質遺物が腐敗バクテリアから守られる泥炭層遺跡や湖底遺跡、そしてアルカリ質の強い石灰岩が酸性の土壌を中和する石灰岩洞窟などがその例です。いずれも特殊な環境に形成された遺跡であり、その探索自体も容易なことではありません。しかし多様な遺跡出土資料に基づく総合的な視点からの旧石器文化像の解明は、世界的な研究の潮流であり、避けては通れない問題でした。この問題を解決するため、慶應義塾大学民族学考古学研究室は、1990年代後半から石灰岩地帯における洞窟探査とその発掘という挑戦的な研究を続けています。
この取り組みは、岩手県北上山地のアバクチ洞窟・風穴洞窟に始まり、現在は青森県下北半島に所在する尻労安部洞窟の発掘調査を行っています。幸いにして、尻労安部洞窟での挑戦は成功をおさめ、2008年には地表下4mの位置から旧石器が見つかり、同洞窟における旧石器時代人の利用が確定しました。また翌年以降、ノウサギ、ヘラジカ、ヒグマなどの動物遺体も続々と発見されました。日本の旧石器時代遺跡は約1万か所ありますが、石器と動物骨が同時に出土した例は僅か5例にすぎません。この発見は、日本列島旧石器時代人の狩猟対象獣の種類を知らしめたのみならず、その狩猟方法を具体的に復元する上での大きな手がかりをもたらしました。
(2023/4/1)